2017/12/23(土) 少女終末旅行(アニメ版)最終回と原作の違いとその個人的解釈
どうも。ベンプっす。
少女終末旅行(アニメ)終わりましたね。最終回のラストシーンは僕が原作で一番好きなシーンです。
まぁ好きなシーンなんですけど、原作と多少違うところがあって、その違いが僕にとっては解釈を大きく揺るがすものだったんですよ。
そのシーンですがラストのユーのセリフ、「ねぇ、ちーちゃん。………地球、終わるんだって。」から続くチトのセリフです。少しだけ変わっています。が、原作ファンでこのシーンを噛み砕いていた僕にとって大きな違いでした。
まず原作のシーンを。
「…うん…まあ……どうでもいいことだろう…」
といってチトがユーリの手を握ります。そのあとのコマではユーリが「フフッ……」と笑いチトがムスッとしながら「何?」と聞き返しユーリが「べつに」と返します。
ではアニメ版の同じシーンを。
「ねぇ、ちーちゃん。地球、終わるんだって。」
「うん…………」
「…………でも…」
「世界が終わろうと…………」
「……どうでもいいことだろう。」
「…わたしとユーがいれば、それでいい。」
このあと「フフッ」「…何?」「別に?」のかけあいがありそのあとのセリフも若干違いますがそれはさておき。
だいぶ違うな?
ていうか……根幹から解釈を揺るがされるな?
僕は原作でのこのシーンは「自分たちにはどうしようもない」といったこの作品全体通してのテーマ(と勝手に思っている)である「"絶望"、”諦観”と仲良くなる」という観点から「まあ…どうでもいいことだろう…」という発言が出たと解釈していました。
ですがアニメ版では「諦観」・「絶望」ではなく、「諦観」・「希望」からこのセリフが出ているんですよね。
「わたしとユーがいれば、それでいい。」というのは私達二人がいればあとはどうでもいいよという"諦め"と「二人であれば」という"希望"なんですよね。
これは結構な革命ですよね。アニメ制作陣の解釈が僕とは180度違うんですよ。というか僕とは"チト"というキャラクターの"ユー"に対する考え方が違う。
原作のチトがユーの手をギュッと握るコマあるじゃないですか。僕は、このコマはチトがユーリが生きていてほんとによかった、という思いから手を握ったのだと考えていました。
ですがアニメ版では変更があり、チトとユーリが互いに手を繋いでいます。ここから推察できるのは安易な百合シーン「地球が終わる」という情報に対して二人のショックの温度感が原作よりも高い?ということなのかなと。それにより二人身を寄せ合うように手を握りあったのでは?と考えています。
原作では「地球が終わる」という情報に対しては本当に「どうでもいいこと」として扱われています。そのことと「二人でいれば」ということが僕にとってどうしても結びつかない。この情報は「だからといって、どうしようもないよ」という諦めの感情をもってチトの中で処理され、だから「どうでもいいことだろう…」という発言が出たと考えていました。
ものすごいバッサリいきますがこの二人って百合関係にあるか?僕にはどーーもしっくり来ないんですよね。
ものすごく仲のいい友達でしょ。どうなんすかね?僕が百合モノが全然好きじゃないんで。すみません。百合鑑定士の方に「うーーん、これは百合!w」って感じでめちゃくちゃな解釈がされてると思えなくもない。
アニメの終わり方としてはもっと切ない感じを出してもよかったんじゃ?と思いますね。こういう改変があったことで、多少なりとも希望のある終わり方になりました。まあアニメだからこそこういう終わり方になったんですかね。希望のある終わり方にしないと収まりが悪いといえば悪いです。まあ、これはこれで一つの解釈としてアリなのかなと。
ただ、もっともっと絶望と仲良くなってもよかったのでは?と僕は思いますね。まあアニメに対しての原作厨から言う唯一の欠点がそこくらいなんで、
少女終末旅行(アニメ)は100点満点中99点です。
最高やったわ。なんで終わるん?5巻のラストまで行こうや。あのシーンも好きやねん。
こうやって歳を重ねるんですね。みんなも、そういった絶望と仲良く、ね。